物流最前線/新春特別インタビュー「ヤマト運輸」宅急便50周年、その先へ

2026年01月20日/物流最前線

PR記事

b7fd2ff39716545d13cd4b1db5f920e3 710x399 - 物流最前線/新春特別インタビュー「ヤマト運輸」宅急便50周年、その先へ

2026年1月20日に、宅急便開始から50周年を迎えた ヤマト運輸。節目となる年、リーダーを任された阿波誠一社長は25年4月の就任時、「選ばれる宅急便に」と初志を語り、全国の主管支店を回り「われわれは何のために事業をしているのか」と問い続けてきた。時代により変化する市場や人手不足など課題は山積。社会インフラとして業界を牽引する立場でもある。阿波社長が考えるヤマト運輸の強み、未来の宅急便とは-。(取材:12月5日 於:ヤマト本社ビル)

50周年はゼロをイチにしてきた歴史
原点に立ち返り次の宅急便をつくる

<1976年8月に開設した中野宅急便センター>
0105yamato3 1 710x410 - 物流最前線/新春特別インタビュー「ヤマト運輸」宅急便50周年、その先へ

<宅急便荷受専門直営店の第1号店、深谷宅急便センター(埼玉)>
0105yamato4 2 710x433 - 物流最前線/新春特別インタビュー「ヤマト運輸」宅急便50周年、その先へ

――  宅急便50周年について伺います。阿波社長はなぜ半世紀も続いてきたとお考えでしょうか。

阿波  宅急便は1976年1月に発売し、初日の発送個数はわずか11個でした。そこから「スキー宅急便」や「ゴルフ宅急便」「クール宅急便」など、顧客ニーズに合わせてサービスを進化させながら、今日まで成長してきました。お客さまや地域のパートナーの皆さまに、あらためて感謝を申し上げたいと思います。

私が高知県に赴任していた頃、ある流通業の70歳代のお客さまから当時のお話を聞いたことがあります。宅急便は1976年に始まり、高知県は後発で展開するわけですが、最初は地元の人たちは笑っていたそうです。CtoCのビジネスなんて儲かるわけがないのに「ヤマトが来たぞ」と。黒船が来たぞ、みたいな感じです。

――  当時はうまくいくとは誰も考えてなかったと。

阿波  経営幹部の多くは反対しました。路線事業をやっていた前身があるので、物流ネットワーク自体は共通化されたものはありましたが、まさにゼロからイチですよね。インターネットができるまでは、荷物を出す側のニーズに応えてきた歴史です。

例えばスキー宅急便とか、ゴルフ宅急便とか、クール宅急便。代引きやコレクトサービスなど、われわれは産直文化や手ぶら文化も作ってきました。お客さまがこうしてほしい、もっとこうしたら楽になるとか、そういった潜在ニーズに応えてきたことが、宅急便の歴史だったのではないかと思います。

――  常に新しい挑戦や改革をしてきましたね。

阿波  そうですね。宅急便のブランディングを広げたもう一つの大きなポイントは取扱店戦略です。地元で一番身近な商店である米屋さんや酒屋さんは昔は家まで配達をして、次のオーダーを聞いてくる。すごくわれわれに近いですよね。実はそういう方たちがプロモーションを代わりにやってくれて「宅急便」を広げてくれました。全国の取扱店にのぼり旗や看板を設置していただき、認知度が高まったことが、いまの宅急便の成長につながっています。そうした宅急便の思想を着実にやっていけば、まだまだ評価され、ご利用いただけると思うんですよね。

――  50周年、なにかプロモーション等はあるのですか。

阿波  2026年1月1日に、昔から産直文化を一緒に作ってきた長野県のリンゴ農園さんの写真を使った広告を打ち出しました。リンゴ農家のもとに、セールスドライバーがリンゴを集荷している様子が描かれています。当時は路線便「大和便」で輸送していましたが、その後お客さまのビジネスが拡大するなかで宅急便が誕生し、生産者から購入者までダイレクトで運べるようになり、サプライチェーンの効率化やリードタイムも大きく変わりました。創業時からの「運送行為は委託者の意思の延長と知るべし」という社訓や、宅急便の基本方針「需要者の立場に立ってものを考える」という精神を大事にしてきた結果であると考えています。

――  改めて原点に立ち返るという感じですね。

阿波  そうです。われわれは何をこの50年やってきたのか、先輩方が何をつくってきたのか、もう一度原点に返っていくというメッセージが必要だと。50周年のなかで、お客さまや幹線輸送のパートナー、取扱店も含めて、支えられてきていることに感謝し、次の宅急便をつくっていくタイミングに来ていると思っています。

0105yamato5 - 物流最前線/新春特別インタビュー「ヤマト運輸」宅急便50周年、その先へ

ヤマト運輸
宅急便50周年記念ロゴ

■宅急便50周年 11個からのスタート
1976年の宅急便開始時の荷物はわずか11個というのは有名な話。これは初めて集計した1月23日の個数で、2月25日までの1か月間でも8591個。小口貨物を切り替えてもらう算段だったが、関係者は「がっかりした」という。一方で宣伝が不十分だった割には集まったとも言え、悲喜こもごものスタートだったようだ。
■50周年記念 リンゴ農家とセールスドライバー
https://www.kuronekoyamato.co.jp/ytc/corp/pr/pdf/poster_2026.pdf

自ら考えて行動する「全員経営」
ヤマト運輸にはそんなスピリットがある

<阿波誠一社長>
0105yamato1 710x473 - 物流最前線/新春特別インタビュー「ヤマト運輸」宅急便50周年、その先へ

――  阿波社長は就任後、全国の主管支店を回られたとか。

阿波  「全員経営」の思想を持ち、地域のお客さまにもう一度、真の意味で「選んでいただける会社」を目指そう、と。これをメッセージとして伝えました。われわれは全国に物流ネットワークを張り、隅々まで社員がいる。そこが強みで、ここをもう一度強めていくことを、宅急便事業の成長の大きなテーマとして取り組んでいます。

現場を回ると課題も多く出てきました。でも、話をするとその後、みんな「じゃあ頑張ろう」という気になってくれる。これがヤマトスピリットというか、すこし特殊なところかもしれません。震災や災害があった時もドライバーから「今、われわれがやれることはないですか」と言ってくる。毎日の業務でそういう意識が着実に育っていることが、われわれの大きな価値だと思っています。

――  「顧客のことを第一に」という考え方ですね。

阿波  それは沁みついていると思います。宅急便が発売される前から創業の精神、思想は変わっていません。1976年1月20日に宅急便が産声を上げましたが、お客さまのために何を一番大事にしていくのか、というのが宅急便の基本姿勢です。分かりやすい運賃や翌日配送、電話1本で荷物を集荷しに伺うなど全てシンプルですが、それを実現するために、一人ひとりが「自分がヤマトを代表している」という意識を持って取り組むという考え方ですね。

<創業者である小倉康臣氏のポートレートが入った「社訓」>
0105yamato8 e1767582121474 - 物流最前線/新春特別インタビュー「ヤマト運輸」宅急便50周年、その先へ

「セールスドライバーはすし屋の職人」とよく表現されます。すし屋の職人は、お店もきれいにするしお客さまのオーダーに対してカスタムしたり、精算をしたり、全ての業務を一人で完結します。一人経営者の塊なんですね。そうあることをわれわれも学んできたし、教育もしてきました。

――  ご自身のキャリアのスタートは九州の熊本だったとか。

阿波  入社後、地元の熊本県に赴任して、あしかけ10年いました。当時熊本県に新卒で入るのは約10年ぶりで先輩もいない。大学時代ラグビーをしていたので体力的にはきついと感じたことは一度もないですが、仕事も分からない若者が正社員としていきなり現場に入るので、どうやったら信頼してもらえるのだろうかという葛藤がありました。

当時の営業所にはドライバーが30~40人いましたが、この人たちにどうしたら信頼してもらえるのか。そこで考えたのが、このドライバーたちは、先ほどの「すし屋の職人」のように、一人ひとりいろんな業務や段取りがたくさんあります。それをずっと見ながら、このドライバーならこうしてあげると仕事がもっとはかどるとか、例えば送り状1枚でも先回りして、全部準備しておく。

そういったことを毎日やっていくと会話も増えるしドライバーは喜んでくれるし、いい仕事になる。チームとしても良くなる。一人一人適性があるし、くせも特徴も性格も違うので、この人たちをどうやって適材適所に持っていくかということの多くは、現場で学んだことですね。

――  だから現場の声を大切にされるのですね。ドライバーのご経験もあるのですか。

阿波  1年目から4トン車を運転して集荷に行っていました。楽しかったですね。お客さまのところに行くと、横に他社の荷物が並んでいる。「この荷物をヤマト運輸にください」といきなり言ってもくれない、当たり前ですよね。でもそのお客さまに毎日顔を出して話を聞いているうちに親密になってくる。ドライバーと同じように、お客さまのために何ができるんだろうかとか、どうすれば喜んでもらえるんだろうかと考え、やり続けてきました。

――  そうした対人の強さというのは、人柄もあるのでしょうがやはり誠実さ。

阿波  そうだと思います。そういう「姿勢」が大事だと思っていて、ドライバー教育はOJTも大切ですが、ドライバーはお客さまに育てられていると考えています。お褒めの言葉もありますが、厳しいお言葉をいただくこともあります。でもそれは期待の裏返しだと思っています。

新人ドライバーが一人前になるきっかけの一つは、お客さまに名前で呼ばれた時。ヤマトさんとかクロネコさんと言われていたのが、突如「阿波さん」と呼んでもらった時に初めて、ドライバーはお客さまに認められたと思うわけです。

――  なるほど、人としての繋がりが生まれる。

阿波  そうなればお客さまに対して負の部分を与えようとは思わないし、それを維持しよう、もっと良くしようとなります。お客さまからの言葉や日常的な業務が積み重なってドライバーは成長し、いい接客とか良いサイクルが回ってくるわけです。

だから、われわれも頑張らなくては。宅急便が生まれて50年。宅急便を通じて付加価値を提供し、選んでいただけるために、まだやれることをしっかりやっていかなくてはいけないと感じます。そこにこそ宅急便事業の根底があると思っています。

■宅急便50周年 家庭から家庭へ運ぶ
当時の小倉昌男社長は大和運輸が「危ない会社」と書籍で指摘され、健全な会社にするために試行錯誤を重ねていた。ある日、息子のお古の洋服を甥に送ろうとしたときに、手軽な送り方がないことに気づいた。当時、郵便小包や国鉄小荷物はあったが、窓口に運ばなければならないとか、様々なルールがあり、さらに届くのに時間がかかった。小荷物を家庭から家庭へ運ぶ、宅急便のアイデアが生まれた瞬間だった。

市場の変化や人手不足、課題を挑戦に
宅急便+αと法人事業拡大が成長の柱

<阿波社長>
0105yamato2 710x473 - 物流最前線/新春特別インタビュー「ヤマト運輸」宅急便50周年、その先へ

――  宅急便の課題については、どう認識されていますか。

阿波  まずビジネス環境として、CtoCで始まった宅急便ですが、購買や消費が変わってeコマースが台頭し、現在年間約23億個取り扱っている荷物のなかでCtoCの割合は1割です。置き配が増えてくれば、対面配達の強み、つまり差別化要素がなくなってコモディティ化(一般化)が進んでいくという懸念もあります。

そうした構造的な変化にどう対応していくのか。われわれは過疎化が進む地方や離島にも正社員がいる。今後地方の過疎化が進み、不採算だからといって拠点を無くしていいのかというと、そうではありません。物流業界の課題として、全国の物流ネットワークの維持は間違いなく、2030年問題より早めに来る課題だと思っています。

――  すると本当に「運べない」地域が出てきますね。

阿波  例えば、北海道は広域で密度が低いため、どうしても宅急便だけでは固定費を吸収できません。そこで、モデルの一つとして、昨夏から奥尻島でヤマト運輸のドライバーによる「貨客混載型の公共ライドシェア」の実証を進めています。

<奥尻島での「島のりあい」実証の様子>
0105yamato6 710x475 - 物流最前線/新春特別インタビュー「ヤマト運輸」宅急便50周年、その先へ

0105yamato7 1 710x483 - 物流最前線/新春特別インタビュー「ヤマト運輸」宅急便50周年、その先へ

この取り組みは、地域の生活者のお困りごとに、われわれが「運ぶ」を通じて、どんな付加価値を乗せていけるのかということを、行政や地域のパートナーと連携しながら始めているモデル。新しい運び方やプラスαの付加価値を載せて、地域課題を解決する物流ネットワークにしていく必要があると考えています。

奥尻の取り組みでは食品や日用品の移動販売もやっています。ヤマト運輸が商品を仕入れて、ヤマト運輸のドライバーが音楽を鳴らしながら街を回っています。なかにはドライバーと話しこんでいる高齢者もいて、コミュニティーの場になっているそうです。われわれの一番の強みは、そのエリアのことをよく知っているということです。だからこそ課題も見つけやすいし、宅急便と違う形のビジネスを一緒にやれるという強さでもあると思います。こうした地域課題を解決するビジネスモデルを今後、全国で展開していければと思っています。

――  なるほど。ほかにはどんな課題がありますか。

阿波  宅急便以外にも事業領域を広げていく必要があると考えます。サプライチェーンの上流に向けてコントラクト・ロジスティクス事業やグローバル事業など、法人ビジネスを拡大していく。そして、この2つが次の成長の柱だと思っています。

例えば東アジアからの越境ECなど、海外から日本の市場に向けて流れ込んでくるBtoCも増えています。海外でのロジスティクスから国内配送までシームレスにどうつないでいくか、という事業もラストマイル があるからこそできるわけですよね。

ヤマトグループの中期経営計画でも示しているように、ヤマト運輸の全国の物流ネットワークを生かし、法人ビジネスを拡大させていきます。

――  どの業界も人手不足といわれますが、ヤマトグループではどうですか。

阿波  ドライバー採用は力をいれています。長年取り組んでいるのは、高校生の新卒採用です。全国の高校とリレーションを取りながら、さらに力を入れて取り組んでいきたいです。高卒採用の場合、すぐにトラックには乗れないのですが、台車や受付などのいろいろな業務を通じて社会人マナーを身につける、プロセスを経ると必ずドライバーとして成長できます。もう一つは社員紹介で、とても定着率がいいです。

――  外国人ドライバーや、女性、高齢者等の採用についてはどうお考えですか。

阿波  ドライバーは性別によらず採用しています。また、現時点で、ラストワンマイル領域での外国人ドライバーの採用は考えていません。考えなくてはならない時期は、いつか来るとは思いますが。

――  ラストワンマイルでロボットも、いろいろと出てきていますね。

阿波  いまチャレンジしているのは、大規模マンションで自動配送ロボットを活用した配達です。韓国のスタートアップと連携して、デベロッパーさんにもお願いして実証をやっていますが 、なかなか評判がいいようです。

――  足回りの課題は。

阿波  課題としては燃料価格の高騰など外部環境の変化に伴うコスト上昇です。パートナーも含めた人的投資もしなくてはなりません。例えば、EVのトラックを約5000台近く導入していますが、ランニングコストも含めてコストが高くなります。その辺りもどう乗り越えていくか考える必要があると思います。

――  次に目指すのは、宅急便100周年ですね。

阿波  市場も含めてニーズがどう変わっていくのか、宅急便だけでは絶対にこれからは成長できないと思っています。地域課題の解決につながる新しい運び方、付加価値を考えていけば、さらに強い会社になれると思っています。様々なアイデアが少しずつ現場からも出てきているので、次の宅急便のあり方についてもしっかり検討していければと思っています。

――  最後に一言、LNEWSの読者にメッセージをお願いします。

阿波  宅急便50周年、日頃からヤマト運輸をご利用いただき、本当に感謝申し上げたいと思います。お客さまに選んでいただいて、ここまで成長してきました。50周年は通過点です。われわれを支えていただいているパートナーや地域の皆さまと連携しながら、宅急便を含めて、ヤマト運輸が成長できるよう頑張っていきたいと思っています。

0105yamato9 - 物流最前線/新春特別インタビュー「ヤマト運輸」宅急便50周年、その先へ

ヤマト運輸 ロゴマーク

■ネコマークの原案は広報部員の娘さん
今ではすっかりおなじみの「ネコマーク」。社章は別にあるが、準社章として利用されている。ネコマーク誕生のきっかけは、1957年にアメリカの会社と提携したことだった。同社のマークは親子のネコ、そこに込められた”careful handling”に共感した創業者小倉康臣が、図案使用の許可を得て、親ネコが子ネコを大切に運んでいる様子を図柄化したものだ。マークのデザインは当時の広報部員が手掛けたもので、その娘さんが書いた絵が基になっている。

■宅急便50周年特設Webサイト
https://www.kuronekoyamato.co.jp/ytc/corp/pr/50th/

取材・執筆 吉坂照美 山内公雄

■阿波誠一社長 プロフィール
1993年3月 法政大学 卒業
1993年4月 ヤマト運輸 入社
2007年3月 ヤマト運輸 高知主管支店⾧
2012年4月 ヤマト運輸 経営戦略部⾧
2018年4月 ヤマトホールディングス常務執行役員(グループネットワーク戦略)
2020年3月 ヤマトホールディングス株式会社 執行役員 兼
ヤマトシステム開発 代表取締役社⾧ 社⾧執行役員
2021年4月 ヤマト運輸 常務執行役員(リテール事業担当)
2022年2月 ヤマト運輸 常務執行役員(南関東地域担当)
2024年10月 ヤマト運輸 専務執行役員(ネットワーク再構築 統括)
2025年4月 ヤマト運輸 代表取締役社長 社長執行役員
現在に至る

ヤマト運輸/1月20日に宅急便50周年、特設Webサイトを公開

関連記事

物流最前線に関する最新ニュース

最新ニュース