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パンダを運んだ男達

2011年04月29日/コラム

東日本大震災の影響で公開が延びていた上野動物園のパンダ。4月1日から公開が始まり、連日多くの人達で賑わっている。上野動物園にパンダがやってきたのは3年ぶり。1972年のカンカン、ランラン以来、上野動物園のすべてのパンダを運んできたのが阪急阪神エクスプレス、動物輸送のエキスパート集団だ。ただ、今回はさまざまな面で多くの苦労を乗り越えての輸送となった。

<上野動物園にはパンダを見ようと長い列>
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動物輸送のルーツは進駐軍のペットから

2月21日夜11時40分に上野動物園に到着したジャイアントパンダ2頭。この輸送作戦に携わったのが、阪急阪神エクスプレスのパンダ輸送プロジェクトチームだ。テレビでも、同社のロゴがデザインされたトラックが何度となく映し出された。

<上野動物園に到着したばかりのトラックを多くの人が出迎える>
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このトラックに同乗していたのが中村輝彦氏。「無事に到着してほっとしました。今回のパンダはレンタルなので、もし事故でも発生すると大きな問題になります。上野動物園もそれだけは避けたかったので、一瞬一瞬全く気が抜けませんでした」と語る。

中村氏は成田空港から上野動物園を担当した。一方、中国の成都空港から成田空港まで担当したのが大貫賢二氏。パンダ輸送プロジェクトは2人を含む同社輸入営業部の3名、中国では阪急阪神エクスプレス(上海)の3名の計6名を中心に阪急阪神エクスプレスグループを挙げて取り組んだ。

阪急阪神エクスプレスといえば、動物輸送で有名だ。1972年の「カンカン、ランラン」以来、上野動物園のすべてのパンダを運んでいる。

同社の動物輸送は戦後すぐに始まる。1950年(昭和25年)頃に米進駐軍の家族のペット輸送が始まりだという。当時は阪急交通社という名称だ。以後動物輸送に力を入れ、57年(昭和32年)にはアフリカからゴリラを輸送し、72年(昭和47年)の「カンカン、ランラン」輸送につながる。中国から絶滅危惧種の「トキ」などの貴重な動物も輸送している。愛子様の誕生記念でタイから贈られた象も同社が運んだものだ。

驚くことの多かった中国側のパンダ輸送

中国からの輸送当日、パンダ輸送トラックの後方観音ドアの片方を開けっ放しにして疾走しているテレビ映像が放映された。四川省のパンダ研究保護センターから成都空港に運ぶトラックの映像だ。後方の車両に乗っていた大貫氏も驚いたそうだ。

温度調節ができる車なのに、なぜ扉を開けて走っているのか。飼育員の話によると、「新鮮な空気を取り入れたかった」とのことだ。日本ではまず考えられないことだ。これは成都空港までは中国側の担当だったためだが、公安の先導車が時速120㎞で飛ばすことにも驚いたと言う。

<パンダ研究保護センターから成都空港は中国側が担当>
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成都のダウンタウンに着いたトラックはそのままホテルの駐車場に一泊。通常は空港の貨物建屋などに保管するものだが、まさかホテルの駐車場とは。これにも驚いたという。2時間おきくらいに飼育係が様子を見に行っていたそうだ。

<檻の中のパンダの様子>
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<檻の中のパンダの様子>
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当初、輸送のルーティングは四川省のパンダ研究保護センターからトラックで成都空港、そこから直行便で羽田の予定だった。ところが、パンダ輸送する檻のサイズが急遽変更され、直行便に収納できなくなった。そこで、さまざまなルートを調査し、そのサイズの檻を収納できる便を確保。成都空港から上海空港までは四川航空の便を利用した。

パンダ研究保護センターを発つときに、20名近くいた中国側のスタッフも成都空港出発時には2名の飼育係だけになり、いよいよ成都空港からは同社の担当責任となる。

成都からは予定の1時間遅れで上海空港に向け飛び立った。大貫氏は電話で成田にいる中村氏に「1時間遅れ」と伝えたそうだ。ところが上海には定時到着。2人とも「相当スピードアップしたようです」と笑う。

<檻はパレットに載せられ国内線から国際線ターミナルへ>
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無事、上海空港に着き、国内線のターミナルから国際線のターミナルへ移動する。通常2時間程度で済む通関手続きと移動だが、同社では5時間の余裕を持たせていた。大貫氏は「まず成都空港は霧が多く、1~2時間遅れは当たり前なので、その分の余裕を持たせていました」と語る。

なお、飛行中のパンダには餌は与えないという。気分が悪くなると人間ならもどすことで調整できるが、動物はそれができないという。さらに、餌を与えても、もし食べ残しがあると国際線の場合検疫の対象になってしまうからだ。

輸送ルートすべての自治体に輸送許可を申請

上海から成田まではパンダデザインがラッピングされたANA(全日本空輸)のフライパンダ号で輸送。しかし、このフライパンダ号は上海~成田便では通常飛んでいない。この日のために、他の路線から運び込まれたものだ。この日、この時間でなければ別の機種になっていたという。

<フライパンダ号からパンダの檻を運び出す>
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<成田空港ではパンダのぬいぐるみも登場し歓迎一色>
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<阪急阪神エクスプレスのラッピングが施された輸送トラック>
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成田空港から輸送するトラックのボディは「阪急阪神エクスプレス」のロゴマークがラッピングされていた。中身が何か分からないようにと上野動物園からの指示があつたからだ。中村氏は助手席に同乗した。

中国とは違い安全速度・安全運転を心掛け、上野動物園に向かう。到着したのは夜中の11時40分。にもかかわらず、ひと目パンダを見ようと多くの人が詰めかけていた。

中村氏は「パンダは基本的にクマ科の動物なので特定動物扱いです。そうすると、輸送ルートの市町村の保健所すべてに届け出を提出しないといけません。これが非常にタイトでした」と語る。市町村には3日前までに届けを出し許可をもらわないといけないのだが、中国からの輸送が確定したのが5日前。まったく時間がない状態で全員で奔走したという。

パンダを見た被災者の笑顔で「輸送に携われてよかった」

2人に今回のプロジェクトについての感想を聞いた。中村氏は「上野動物園に3年ぶりのパンダということですが、やはり上野にパンダがいないのは寂しかったですね。今回、東日本大震災で被災されていた方達を上野動物園が招待していました。その方達がパンダ舎の前で笑顔になっている様子を見て、パンダ輸送に携われて本当によかったと思いました」と語る。

大貫氏は「輸送期間中、オスが神経質になっていたので心配しましたが、上野動物園で元気に笹を食べているのを見て安心しました。メスは最初から堂々としてて、何も心配いりませんでしたね。上野の商店街が活気づいているのもうれしいです。また、動物輸送で国と国との架け橋の一助になったことをとても光栄に思っています」と話した。

<左側が中村氏、右側が大貫氏>
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輸入営業部東京輸入第3支店 営業課一係 係長
中村輝彦氏
輸入営業部東京輸入第3支店 営業課 課長
大貫賢二氏

最後に、ビジネスとして今後動物輸送は減少するのではと聞いた。ワシントン条約で動物の輸出入の規制が強化されたためだ。しかし、同社の主な顧客は動物園や水族館で、大きな影響はないという。絶滅危惧種の輸出入は難しいが、動物園などで繁殖のように種の保存に伴うものは特例が設けられているからだ。

パンダ輸送に関しては中村氏は7回目、大貫氏は初めてだが、その特殊なノウハウは今後社内で後輩達に伝えられていくことになる。

なお、上野動物園のパンダ舎には、パンダを運んだ様子のパネルが展示されている。パンダ見学の際には一緒に見学を。

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