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プロロジス/山田御酒社長 トップインタビュー

2016年02月19日/物流最前線

顧客の要望に応える新機軸を打ち出し日本のスタンダードを作る

プロロジス
代表取締役社長 山田 御酒氏

<山田御酒社長>
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日本の賃貸用物流施設開発の草分け企業プロロジス。日本に進出した時には「黒船」とも呼ばれていたが、信頼醸成と良質な物件開発で今や業界のスタンダードともなっている。顧客ニーズに応える開発手法から、BTS型からマルチテナント型、ハイブリッド型と次々と新機軸を打ち出し、BCPや環境面でも先頭を走る。今後は冷蔵・冷凍専用施設の開発・展開にもますます力を入れる。山田御酒社長に現状と今後の展開を聞いた。

苦労した日本進出、それが信頼醸成につながる

―― プロロジス設立の経緯は
山田 私は米国とヨーロッパに計15年間赴任していました。米国では80年代にインダストリアル(産業用施設)の効率的な運用を目指して、郊外への集積集約が盛んに始まっていました。インダストリアルと言うと、工業を意味しますが、当時例えばカリフォルニア地域には、航空産業の中小企業によるパーツ会社やメンテナンス企業などが、一棟の建物の中で、オフィス・製造・保管・輸配送を兼ねる2階建て程度の建物が多数ありました。その進化形として、地場の不動産会社が、機能を集約した形で郊外に巨大な物流施設開発を始めたわけです。そして、その地域ごとの不動産開発会社が集まって設立したのがプロロジスでした。米国では1994年に上場しました。
―― 日本進出の理由は
山田 日本進出の前にヨーロッパに進出しました。これは、米国での顧客にDHLやフェデックス、UPSなど世界展開しているインテグレーターとの取引があり、ヨーロッパでの開発の必要性も増していました。ただ、ヨーロッパにも、多数の小さな倉庫会社があり、プロロジスがゼロから始めるのでは間に合わなく、その会社をM&Aすることで、一挙に拠点を増やしました。例えば英国のキングスパークという会社も買収し、その建物のフラッグを全部変えていきました。その後に、日本にも進出しなければならないということになり、1999年に進出となります。

―― 日本進出ではM&Aは行わなかったのですか。
山田 当時、1998年ごろからマーケットリサーチをしていました。ところが当時の日本ではM&Aできる土壌も企業もなく、外資が日本企業を買収すると「黒船」がやってきたとなりますので、イメージも損なわれますし、独自でやるしか方法がありませんでした。賃貸型物流施設の開発ニーズはあるが非常に難しい状況でした。

-― 新木場のDHLのセンターが最初でした。
山田 まずは、これまでの実績のある企業が中心でした。さらに、ヨーロッパでは、すでに日通さんや日本郵船さんと付き合いがあり、信頼を得ていたのでそれを突破口としてBTS型の開発を進めていきました。

―― BTS型物流施設が中心ですか。
山田 当時、欧米でもほとんどすべてがBTS型でかつ平屋建てでした。しかし、BTS型だけだと、開発のスピードが当然遅くなります。日本では、土地も狭く、そのうえ土地代が高いとなれば、大型で効率的な物流施設をつくらなければならない。そこで考えたのが多層階のマルチテナント型です。とにかく、建物を建てて、顧客を集めようとしたわけです。これは、当然、アメリカ本社には理解されませんでした。何度も提案を突き返されました。最終的には許可を得たわけですが、条件として、顧客と契約が取れれば土地を購入してもよいというものでした。建物の完成前どころか土地取得前の契約ですから、当初は多くの企業に全く相手にもされませんでした。しかし、顧客のもとに何度も通い説明を繰り返したことで、なんとか100%入居の数字を手に入れ、完成したのが成田の物件でした。

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