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特別企画
人を育て人を守る「仙台長町未来共創センター」竣工
フクダ・アンド・パートナーズ挑戦の軌跡を追う
ー前編(黎明編)

2022年06月10日/物流最前線

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前編(黎明編)

4月1日、JR東北本線太子堂駅から3分の場所、宮城県仙台市太白区郡山6丁目の場所にユニークな建物が竣工した。平常時と非常時に機能が変わる、つまり役割が大きく変化する施設「仙台長町未来共創センター」のプロジェクト開発が完結した時だった。機能が変わるとは、どういうことか。それは、非常時には、地域住民も含めた人々を守る施設へ変化するということだ。構想・実行したのはフクダ・アンド・パートナーズ(F&P)の福田哲也社長。物流施設開発では多数の実績を誇る同社だが、このような取組は初めてのこと。当然ながら、数多くの人々・団体の協力・援助を受けて初めて成し遂げられたことだ。F&Pでは「リバーシブルビル」と呼んでいる。同氏の事業構想の原点にあったのは東日本大震災の際に、72施設の物流センターや店舗の復旧に取り組んだ経験だ。「物流施設は地域の人々に生活必需品や食品を届ける社会機能であり、災害時にはライフラインになることを心に強く刻みました」と同氏は語る。「仙台長町未来共創センター」を開発するにあたり、縁があった土地で「何かできることはないか?」と考えたところ、東日本大震災での経験とつながり、地域密着型の防災施設にしようと考えたという。多くの人との縁で共創して開発した「仙台長町未来共創センター」完成までの軌跡を関係者の言葉と共に追ってみよう。

<竣工したばかりの仙台長町未来共創センター>
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<東日本大震災の思いを語る福田社長>
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原点は東日本大震災だった

2011年3月11日は誰にとっても忘れ難い1日となった。震源地から遠く離れた東京でも震度5強と恐怖的な揺れを感じ、瞬く間に交通機関は麻痺した。当日、帰宅困難者になった人も多いだろう。一方で、震源地の近くである東北地区では、震度7を記録し破壊的な自然災害が生じていた。揺れもそうだが、その後に押し寄せた津波により東北各地の都市は壊滅的な被害を被った。TVで放映された津波が町を飲み込んでいく様は見るに堪えない様相を呈していた。当然ながら、あらゆる施設も破壊され、フクダ・アンド・パートナーズ(F&P)が手掛けた物流施設や取引のあるお客様の物流センターも多くの被害を受けた。

福田社長は「現地には当時7~8人の従業員がおり、発生時から顧客企業と共に連絡を取り合っていましたが、回線が途切れることも多く、どうにか現場に行き、少しでも手助けをしたかった」と話すが、交通機関も麻痺し、簡単に対処できる状況ではなかった。それでも「自家用車にあらゆる必要物資を積んで、私自身が運転して数人の社員と共に仙台まで駆けつけました。震災2週間後だったと思います。他の社員も様々なルートを駆使して、到着しました」と話す。宿泊先は、知人の家や東北大学の学生寮。現場の様子は当人たちの予測をはるかに超えていた。

――  当時の様子について

福田  現地では、想像できない景色が広がっていました。以前そこにあった建物が今はない、という光景が延々と広がっているわけです。仙台空港周辺では防風林もなく、あらゆる物が流されて景色も一変していました。唖然とするしかなかったですね。

――  現地ではどのような活動を。

福田  まず、幸いにも当社の社員は誰1人怪我もなく、震災翌日より、私と動ける社員達は当社の全てのお客様に電話して、被害状況の確認をしました。業務実績があるか否かに関係なく、依頼があれば現地調査をして建築技術を生かして役に立とうと考えました。しかし、東北の事業部の社員は7人しかいないし、東京本社から応援部隊を送るのですが、原子力発電やガソリン調達の問題もあり、多くの人を送り込むのは簡単ではありませんでした。ガソリン不足で一時的に自転車で仙台市内を調査して回ったこともありました。

――  現状を把握することすら難しかったと。

福田  そうですね。現状把握では被害を受けた物流施設は電気が止まり、内部は真っ暗で、資材は散乱し、場所によっては泥まみれで倉庫内のマテハン類は大きく被害を受け、曲がっていたりしていました。安全確保や物流センターの早期稼働のために応急措置として何ができるかを考え、応急工事の工程を作り、工事費用の算出をして、具体的な対策を作り、予算を整理しました。応急対応では、早期に物流センターを稼働させたいので、分電盤や自家発電装置を探すことに一生懸命に取り組みました。同時に恒久的な工事内容と工事費用と工事スケジュールを精査して、お客様と共に具体的に物流センターの本格稼働までの道筋を作りました。地震や津波で図面が無い場合もあり、現地調査で仮設を立てて、工事内容を決め、工事費概算し、スケジュールを立てるわけですから、あらためて当社の技術性の高さを実感したと共に、物流センターに特化することで得た豊富なデータによるところも大きかったと感じました。また、より具体的な計画にするために、ゼネコンさん、サブコンさん等に声をかけて力添えをいただきました。結果、多くのお客様に役立ち、喜んで頂きました。

――  瓦礫の回収も大変だったのでは。

福田  まさに瓦礫の山でしたね。これをどう処理するかは、お客様に相談してから処理するのですが、早く判断してもらったお客様の施設については、かなり迅速に処理できました。異臭の問題もありましたね。ちょっと判断が遅れた企業は捨て場がないという状況に陥りました。パレットの散乱もすさまじかったですね。

――  一番困ったことは。

福田  やはり電気の重要性を感じました。電気がないと自動倉庫やソーターが動かないし、棚から商品をピッキングするにも暗くてわからない。何より心細くなりますよね。後、食料ですね。3日間の食料保管があった施設も4日目にはなくなったし、支援物資が市役所に届いても、必ずしも迅速かつ適切に配分されません。地域物流センターが止まっていますから、町のスーパーやコンビニには何もなかったです。店舗には行列ができました。我々の復旧した食品物流センターから食品が出荷され、スーパーやコンビニの棚にパンやおにぎりが並んだ時は本当に涙が出ました。物流施設は人々の生活を守る生活インフラであり、災害時には人々の命を守るライフラインになるという事を心に強く刻みました。

――  東北の物流施設も大きな被害を受けましたが。

福田  宮城県には、お客様に三菱食品さん、みやぎ生協さん、日立物流さん、他、食品メーカー、食品卸、3PLや不動産デベロッパーのお客様がたくさんいて、特に仙台臨空工業団地内の施設には最も時間と労力を注ぎました。

次>事業は“想い”から始まり、数多くの「縁」が後押しする

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