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しがらみに縛られる日本の物流
なぜ標準化が世界で可能で日本で困難か

2023年06月23日/物流最前線

202306NX icatch01 - 物流最前線/NX総研・廣島秀敏社長トップインタビュー

日本通運のシンクタンクであり、コンサルタント集団として長い歴史と数多くの実績を誇るNX総合研究所。世界各国での長い駐在員勤務・出張等を経て2022年1月に廣島秀敏氏がNX総研社長に就任した。中近東を皮切りに、欧州、アフリカ、米国等で豊富な物流経験を積んできた。現在の日本の物流に対してどのような考えを持っているのか、伺い知れる内容が同氏のブログにあった。「日本人は勤勉で各社ごとに最高の物流サービスを追求するあまり、海外のように簡単に標準化はできない。海外では誰でもできるように手順を単純化・定型化してサービスを提供しているから」とのことだ。日本と海外との様々な違いに驚きつつ、それらを現地で克服してきた同氏に、2024年問題を含む今後の日本の物流とNX総研の役割について聞いてみた。
取材日:5月29日 於:NX総合研究所本社

<廣島社長写真>
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イライラ戦争、ソ連崩壊、ユーロ導入
激動の世界に飛び込む

――  御社のブログを拝見すると、海外勤務地として最初に中近東勤務を希望したとのことですが、それはどのような理由からでしょうか。

廣島  日本通運に入社したのが1984年でした。子供のころに聞いた話で、私の曽祖父が昔行きたかったのがブラジルでして、そこで金を採掘したいという希望を持っていたようです。ブラジル行きは親の反対で実現せず、それでも金を掘りたかった曽祖父は独学で日本の鉱山技師になり、実際に北方領土で硫黄の鉱脈を見つけ、試掘権まで獲得したのですが、第二次世界大戦がはじまり、結局はソ連領になりあきらめたと聞いています。また、父方の祖父が戦争で満州に行き、中国の話をよくしてくれました。さらに、母方の祖父はバルチック艦隊と戦った連合艦隊の旗艦三笠に乗艦していたとか、第一次世界大戦でアフリカまで行ったと話を聞き、子供ながらに世界へのあこがれが芽生えていたのでしょう。ですから、中近東に限らずアフリカとか南米といった普通の旅行や仕事ではあまりいくことのない面白そうな国に行ってみたいと思っていたのです。

<第一次世界大戦時の母方の祖父の連合艦隊時代>
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――  周囲に海外経験のある人が多くいたのですね。

廣島  私の両親はそうでもないのですが、祖父たちの経験に影響されて、大学に入ったときに、探検部に入部しました。当時は南米に行こうとして、準備を進めていたのですが、他大学に先行されてスポンサーも見つけられずあきらめました。その当時、外務省に入省した先輩がトルコ共和国の書記官として赴任する前の送別会で、中近東の話を聞いて、イスラムの国は全然日本と常識が違うことに、非常に興味を持ち、中近東に行ってみたいと思うようになったのです。実際は、アフリカでも南米でもよかったと思っています。

――  それでは入社後すぐに中近東に行かれたのですか。

廣島  まず、プラント資機材の輸送を専門とする海外プラント輸送支店に配属され、中近東向け海上および現地内陸輸送業務に従事しました。当時は輸出が盛んだったので、海運中心の海外輸送でした。入社翌年の5月に初めて中近東を訪れることになります。1か月間のエジプト出張で内陸輸送立ち合い管理を担当しました。さらに翌年2月からはイラクに1年間の長期出張を経験しました。そのころは重厚長大産業が日本から韓国、中国に移り変わる時期で、次第に日本発のプラント貨物が減少する時期になります。また、1985年のプラザ合意により、円高基調で輸入が増加したことで、イラクから帰国した1987年から9年間輸入の部門に移り、途中研修で英国に行っていました。また、ソビエト連邦が91年に崩壊した折、緊急支援ということで、ロシアに何度か出張しています。96年に国際輸送事業部複合輸送グループに異動し、アフリカで複合輸送事業に取り組みました。基本的にODAでの援助関係で、現地調査や輸送の立ち合いを約5年間担当し、2001年からはドイツに配送センター中心のロジスティクス業務で約8年半滞在しました。一旦帰国して複合輸送部門に4年間在籍した後の2013年にオランダ勤務、ここでも5年間のロジスティクス業務を担当しました。

――  それにしても混乱の多い地域ばかりですね。イラクにいた当時は戦争中ではなかったのですか。

廣島  イラン・イラク戦争ですね。私の上司はちょうど開戦時に現地にいて、イランから毎日複数の攻撃機で空襲されるといった経験があったようですが、私の頃は週に1回程度のミサイル攻撃でしたね。イラク北部の物流管理、工事現場のアドミ業務(主に総務や人事、経理部門などの管理部門で行う事務およびサポート業務全般)の担当でした。滞在中は自由に行動できませんでしたが、バグダッドではバビロン遺跡に、北部ではMar Mattaiという世界最古級のキリスト教(シリア正教)寺院に行きました。イラクはイスラム教が主流ですが、古キリスト教の教会が多数あります。チグリス・ユーフラテス文明と言いますが、文化的には古くから栄えてきたところのです。

<世界最古級のMar Mattai教会の外観>
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<内部の様子>
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――  先ほど日本と常識の違う中近東に興味を持ったというお話がありましたが、イラクやエジプトではいかがでしたか。よく、時間を守らないという話を聞きますが。

廣島  イスラムと日本の考え方の相違については、先輩からいろいろ話を聞いていましたし、代理店等に聞きながらその場その場で理解と判断に努めました。時間については、その概念自体が違うのではないかと思われ、私たち日本人の感覚とは大きく違うということです。一例としてですが、イラクに輸送する場合、当時はペルシャ湾に面したイラクの港は戦争で封鎖されており、ヨルダンのアカバから輸送されていました。ヨルダン経由ですから、1週間程度はかかると言われていたのですが、それがなかなか到着しません。そこで尋ねると、「ボクラ」(明日)と言うんですね。翌日もその翌日も何度尋ねても毎回「ボクラ」で、そのうち何日待たせるつもりだと声を荒げると「ボクラ インシャアッラー」(インシャアッラーは正確に日本語には訳せないが、「運命」というような意味合い)とのことでした。これはもうお手上げでしたね。時間以外にも、エジプトでは、フォークリフト運転者が急ブレーキをかけ、荷物を落として壊したのですが、厳しく注意すると、通訳を介して「この荷物はここで壊れる運命にあった。落ちたのは自分のせいではなく、この箱の運命だった」と。さすがに、この時は相当ショックを受けました。運命と言われたらなんとも言えないですからね。さすがに日本人には理解しがたいことでした。

――  中近東とは違った意味で、ソ連崩壊後のロシアの混乱も大変だったのでは。

廣島  物価の上昇がすさまじかったですね。ロシアの通貨であるルーブルの下にコペイカという通貨単位の硬貨がありますが、もう使えなくなってしまい、公衆電話も全然機能せず、ただで利用できましたね。また、車のナンバープレートも鉄板がないため発行できず、紙に書いたナンバープレートを車に貼り付けて走っていました。ただ、日本政府は混乱を予測していて、先ずは極東のウラジオストックやハバロフスク向けに、援助の体制を整えていました。日本通運では代理店を起用して輸送業務を行い、私は現地で代理店指導と日本への状況報告を担当しました。

――  その後にアフリカ、ドイツ、ですね。新興国と先進国を行ったり来たりで、大変だったのでは。

廣島  それ自体の大変さはあまり感じませんでした。それより、8年半というドイツ駐在はさすがに長かったなと思っています。2002年にはユーロが導入されて、物流が大幅に変わりました。国境の税関はすでになくなっていましたが、通貨が統合されたことで、顧客がそれぞれの国ごとに倉庫を置いて配送拠点を持っていましたが、それらを統合する動きが一挙に起こりました。それにより、ドイツからオランダの倉庫に集約する動きがはじまり、ドイツ日通でも顧客が減る心配がありました。当時3大顧客があったのですが、2年ごとにオランダに移転することになり、その空きスペースを埋めるため新規の顧客を獲得し、オペレーションの立ち上げには相当苦労しました。ドイツの倉庫も関係者の努力により、なんとか苦境を乗り切りモチベーションの向上にもつながる貴重な経験になりました。

――  ドイツからオランダへの集約はやはり港の影響ですか。

廣島  英国を切り離して欧州大陸だけで見れば、ドイツはヨーロッパの重心ですが、英国を含めたヨーロッパでは大きな港のあるオランダが便利といった地理的な点と有利な税制で集約が進んだようです。中央倉庫ともう1か所小さめの拠点を設ける場合には、英国とドイツが良い組み合わせです。

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